第368回 カツカレーは駄目ではありませんでした


 三年ぶりである。
 これじゃ、まるで三年寝太郎である。
 とはいえ、三年間寝ていたわけではない。むしろここで書き散らかしていた寝言が三年間途絶えていた分、社会貢献だったのかもしれない。
 それはさておき、とうとう行ってきたのである。
 どこにって。決まってるじゃないか。知覧だ。
 皆さんは、知覧というと何を連想するだろう。
「武家屋敷跡」
 んー、マイナー。というか、かなり渋いとこだな。
「特攻平和祈念館」
 まあ、普通はそうくるな。
「知覧には何があるか、ちらん」
 はいはい。先生、つまんない冗談は嫌いですよ。とび蹴りしますよ。
 他には、どうですか。はい、そこの大坪さん。
「ちらん亭のカツカレー」
 そうですね、よくできました。知覧といえばカツカレーですね。って、誰だよ、俺。
 とにもかくにも、前世紀の終わり頃に書いた文章で、「ちらん亭」のカツカレーについて言及したことがある。その「ちらん亭」にようやく行ってきたのである。
 かねがね行かなければならぬ、と考えていたが、とうとう行ってきた。
 しかし遠かった、知覧。
 飛行機で伊丹から鹿児島空港へ。市内の重富荘という旅館に投宿。
 知覧は、ここから路線バスでたっぷり一時間半かかるのだ。
 そしてその知覧以上に「ちらん亭」は遠かった。私が本懐を遂げるまでには、結局二日を要したのである。
 まず、初日。
 先に書いたように、路線バスに揺られて知覧にたどり着いた。渋滞していたようで、結局一時間四十五分もかかった。
 バスを降り歩いていくと、観光バスの駐車場や有名な「富屋食堂」のとめさんの子孫が経営しているという食堂兼土産物屋さんなんてのがある。その先にあったのが目的の「ちらん亭」だ。あっさり見つかった。
 到着したのはちょうど時分どきである。いきおい、客の数も多い。
 ちょっくら空いた時間まで待とうってんで、じゃあせっかくだから特攻平和祈念館を見とかなきゃ嘘だろう。そういう運びで、祈念館に行った。
 祈念館の報告をするのが目的ではない上、くだくだしいので省略するが、ひとつだけ。入り口付近のベンチに腰掛けていると、モギリの女の子二人の会話が聴こえてきた。
「靖国神社がバッシングで大変なことになってるね」
「そろそろここにも飛び火するかもって話よ」
「えー、じゃここ閉鎖されちゃうの」
「かもしれないね」
「……仕事、なくなっちゃうね」
「……うん。仕事、なくなっちゃうね」
 ともかく祈念館の中を見て回って、気がつくと八つ。すなわち三時であった。
 そろそろ「ちらん亭」も空いている頃だろう、と戻ってみると怖い蟹。扉が閉められ、食堂内は暗い。
 入り口に立って中を覗いていると、料理人らしき格好の男が室内を横切っていくのが見えた。どんどんどん。どんどん。気づいてくれる。
 私。中を指差し、次に手を口元に何度か運ぶ身振り。(食事、できますか)
 男。両手を胸の前でばってん、次に頭を下げる。(今日、終わり、すみません)
 男はそう言い終わると、いや、ジェスチャーし終えると、そのまま奥に消えてしまった。
 なななな、なんということだ。わざわざ知覧まで、いや、それどころか「ちらん亭」の入り口まで来ているのに、終了しただと。しかもまだ三時ではないか。ここは知覧ではないのか。特攻の飛行兵たちの献身的な世話をし、母のように慕われた鳥浜とめさんが「富屋食堂」を営んでいた知覧ではないのか。貴様、同じ飲食業として、恥ずかしくはないのか。こら、どうなんだ。おい貴様、開けてください。お願いします。どんどん。どんどんどん。
 だが、男が再び現れることはなかった。
 私が調べた限り「ちらん亭」は夕方五時までやってるはずだ。これは何かの間違いに違いない。私はそう考えながら、携帯電話を取り出し、この日のためにかねてから登録しておいた「ちらん亭」の番号にかけた。
「はい、ちらん亭です」
「あの、今日はもう閉まっているのですか」
「はい、そうです」
「もう、終わりですか」
「そうですよ」
「もっぺん開いたりはしませんか」
「いやー、さすがにそれはしませんね」
 何が「さすが」なんだ。
「何時ごろ閉まったんですか」
「今日はねー、三時前までやってたんですが」
 なんということだ、タッチの差だったんじゃないか。
「でもそちら、営業時間は五時までと伺っているんですが」
「そうなんですけど。お客さんが少ないと、閉める方向で動くんですよ」
「閉める方向で動くんですか」
「はい、動くんです」
 どんな方向だよ、それは。
「沖縄方面、発信いたします」
 そういう方向か。こらこら。
 ともかく埒があきそうもない。話題を変えよう。
「明日は営業してますか」
「はい」
「営業時間は」
「朝十時から夕方五時です」
 お前は、遅れてても時刻表どおりの予定を告げる、ヨーロッパの列車の車掌か。
 と、心の中で微妙に判りづらい突っ込みを入れる。
「でも、今日は三時で閉まったんですよね」
「そうです」
「では、明日も早く閉める方向で動く可能性が」
「はい。動く可能性がありますね」
「それでは、早く来ます」
「お待ちしています。ありがとうございます」
 翌日。
 私は再びバスに揺られ、知覧に向かった。
 正直、カツカレーはどうでもよくなっていた。むしろ、食べたくなかった。
 というのも、昨夜今朝は食べ過ぎた。
 昨夜は鹿児島市内の熊襲亭というところで、鹿児島料理をたらふく喰った。
 とりあえずいちばん高いコースを、というと、座敷からいきなり個室へ移され、これでもかという量の郷土料理を振舞われたのである。
 薩摩揚げ、おいしうございました。
 きびなご、おいしうございました。
 屋久島蟹、おいしうございました。
 焼酎「村尾」、おいしうございました。
 かてて加えて、重富荘でもたんまり朝食を喰わされた。
 水上勉も小説で描写したという庭園を見下ろしながら、山ほどの皿を喰った。
 そんなわけで、ちっとも腹は減っておらぬ。というか、まだ苦しい。
 だから、カツカレーはどうでもよくなっていたのである。正確に言うと、「ちょっとタイム。タイム」といったところ。もう少し腹がこなれたら、食べます。今はまだそんな気持ちになれないの、ということなのであった。
 それでも、バスに乗っている間におっつけ腹も減るだろう、せっかくここまで来て喰わぬというのも遺恨を残す、と思い立ち知覧へ向かう。
 到着。
 いやいや、何が。相変わらず、腹は減らぬ。
 減らぬままに「ちらん亭」の扉を押した。
 時分どきであるが、今日はかなり空いている。他には二組ほどしか客はいない。
 私は窓側の席に腰をおろした。すぐ女給がくる。
「カツカレー」
 そう発した私は、急に感慨深いものを感じた。満腹であるにも関わらずだ。
 ああ、とうとう私は「ちらん亭」のカツカレーにありつけるのだ。
 感動だか、感慨だか、あきれてんだか、自分でもさっぱりわからないけれど。
 カレーが来た。
「いただきます」
 ふむ。ふむふむ。なるほど。
 いいじゃないか。なあ、安藤医師よ。これのどこが「駄目」だというのだ。
 ルーはもう少し辛いほうが好みではあるが、かといって駄目というわけじゃない。カツだっておいしいぞ。
 ただ。
 ただ、ちょっと今の私には「罰ゲーム」になっているだけだ。
 空腹だったら、そんなことはないぞ。
 ひい。もぐもぐ。ひいひい。もぐ。
「ごちそうさまでした。ひい」
 私は知覧に来てひとつ学んだのであった。こうだ。
「いかにカレーが好きでも、いっぱいいっぱいなことだってある」
 ともかくこれで義理は果たした。
 なんの義理だか判らぬままに。


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2005/06/12
文責:keith中村
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