第335回 すごいぞ、野村


 姿三四郎はもちろん富田常雄の同名小説の主人公であるが、この小説以降三四郎は柔道の凄い人の代名詞となり、漫画や小説の主人公に三四郎の名を冠するものが量産されることとなった。私の敬愛する作家城戸禮氏は自ら柔道の達人でもあり、名作三四郎シリーズを書かれた。三四郎は現実の世界へも進出しており、有名なのは古賀稔彦の「平成の三四郎」であるが、シドニー五輪の中継を見ていても「女三四郎」「二十一世紀の三四郎」など三四郎の大安売りである。浦沢直樹の「YAWARA!」以降、柔道の凄い女子の人の呼称が「女三四郎」から「柔ちゃん」に改まるかと思ったら、どうしたことかこの名は田村亮子が独占することとなっている。
 さて、今回その田村選手と共に金メダルを獲得したのが野村忠宏である。
 ご覧の方も多かろうが、この野村選手がテレビの上ではかなり可哀想な扱いになっていた。
 というのも、男子女子揃っての金メダルということで野村田村両選手は同時にインタビューを受ける場面が多かったのだが、世間が「田村、悲願の金メダル獲得」への熱狂に傾いている分、野村選手はどうしても刺身のつまの扱いになっていたのである。
「柔ちゃん、本当にほんとうにおめでとうございます。あっ、そういえば野村選手も良かったね」
 まあ、そこまで露骨ではないにしろ、そのような扱いであったのだ。野村は五輪では二連続の金メダルで、この意味で田村よりも凄いはずなのだが、知名度が高くおまけに苦節八年などと浪花節的物語を投影できる田村へ関心が集まってしまい、それを仕方がないこととしても野村選手へは見ていて非礼とさえ思えるような対応も多かった。山口百恵に対する三浦友和の格付け以下である。
 テレビで見ているだけの私ですらそのように感じたのだから、況や野村本人においてをや、さぞや憤慨しているだろうと思ったのだが、野村忠宏、ただものではなかった。
 まず、私が最初に眼にしたのが金メダル獲得当夜、シドニーから中継された次のようなやりとりであった。
「柔ちゃあん、日本のみなさんに是非メッセージをお願いします」
「はい。たくさんのたくさんのファンのみなさんに応援していただいたおかげです。みなさん、ほんとうにありがとうございます」
「はい。……ええっと、それでは野村さんも、何か一言」
「はい。僕もファンのみなさんに、田村のファンよりはずっと少ないだろうけど、みなさんにありがとうございます」
 アナウンサーは「い、いやいや、そんなことはありませんよ」と慌てていた。
 私はこれを見て、野村選手はちょっと凄い人なのではないかと思った。
 別の放送局でも二人は並ばされていた。こちらの番組では日本のスタジオに、前の五輪での田村選手のコーチという人が招かれており、衛星中継で師弟の感動の対面という演出がなされていた。
「コーチに貰ったお守り、肌身離さず持ってました」
 と田村選手。これに対してアナウンサーが「柔ちゃん、そのお守りを見せてください」というと、田村は肌身離さず持っていたはずなのに何故か「……ええと、今は鞄に入れていますので持っていません」と答える。まあ、これはこれでよい。そういうこともあろう。
 アナウンサーはこの後コーチに向って「野村選手にも何か言ってあげてください」と言った。コーチはこれを受けて「野村くんもおめでとうございます」。
 シドニーの野村選手答えて曰く、
「ありがとうございます。僕もコーチから貰ったお守りを肌身離さず持って」
 日本とシドニーの両側からすかさず「貰ってないでしょ」との突っ込みが入った。
 なかなかこういう場で出せる笑いではなかろうと思う。素晴らしい。
 更にまた別の番組でも野村田村両選手は並んで連れ出された。
 この番組で田村は、自分にとって金メダルはどのようなものかという質問に、初恋の人のようなものであるという主旨のことを喋った。初恋の人にようやく出逢えたというのだ。
 またしても付け足しのようにして同じ質問を受けた野村は、
「愛人のようなものです。ときどきは会ってます」
 もちろんこれは前の五輪でも金メダルを取っていることを踏まえたギャグである。
 野村選手はすごい。もちろん田村亮子だってすごかろうが、野村忠宏はもっとすごい。二大会連続金メダル獲得という偉業を達成できる人間は世界中でもごく限られた数しかいないわけだ。そして、ときどきは会ってます、というのはそのごく限られた人間しか口にできない特権階級のギャグなのである。
 だいたいこういう場のインタビューなんてものは、当たり障りのないことを訥弁に語っておればよいものだろうに、あえて笑いを取りに行こうとする野村選手の姿勢はいったいどうしたことだろう。彼は奈良県の出身らしいが関西人の血がそうさせているのだろうか。
 発言の順番が常に田村選手の後になってしまうことを彼は逆手に取って、絶妙の笑いを生じさせる。田村が「起承」だとすれば野村は常に「転」それから「結」のいちばん「おいしい」所を掠ってゆくのである。芸人の鑑というべきであろう。芸人じゃないって。
 さて、五輪中継を見ていて疑問に思ったことがひとつある。水泳のゴールである。どうして水泳のゴールはプールの縁になっているのだろうか。縁というのは水の中から見れば壁である。壁をゴールにしているのだ。これはあまりにおかしい。こんなふうだったら、選手は激突を恐れてゴール前で減速してしまうではないか。ラストスパートの速度のままゴールにたどり着くと、少なくとも手が壁を掻いて突き指かなんかして、痛いいたいことになってしまう。これを避けて選手は速度を緩めているに違いないのだ。現在の水泳競技がこういう仕組みだから、選手は実力を発揮しきれていないのではないだろうか。
 考えるのだが、プールの長辺を五十メートルではなく、五十五メートルにしてはどうか。そして、百メートル競技ならば、折り返したあとスタート地点の手前十メートルのところをゴールとする。つまりまず端から端まで五十五メートル泳ぎ、折り返してからは四十五メートルだけ泳ぐようにするのだ。これならば、勢いよくゴールしてもまだ十メートルの遊びがあるから大丈夫だ。二百メートルとか四百メートルの競技でもゴールラインを適切にずらせばよいのだ。これで選手はゴール前でも安心して速度を維持でき、記録が向上するに違いない。現在こうなっていないのは、オリンピック委員会の怠慢といってもよいのではないだろうか。委員会は即刻私の提案するように規定を変更すること。
 これに応じられないというのであれば、プールはこのままでよいから、不平等をなくすため、陸上競技のゴールを分厚い壁にしなさい。


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2000/09/23
文責:keith中村
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